2018年 08月 09日
最期の時間 |
できることはしたつもりでも後悔ばかり。
まだ寒い2月下旬、かかりつけ医からの紹介で大きい病院へ。
1ヶ月かけて通院しながら検査の日々
どんよりした気持ちで何度も病院へ足を運んだ。
いつも下を向いていたのか桜が満開になったことも気づかず、葉桜になった4月のはじめに治療のため入院。
高齢のため、根治治療ではないのだけど、退院すると思っていた。
2ヶ月弱の治療が終了し、退院の日が決まった頃、主人の父が他界した。
数日病院へ行けない間に、父は急変し、回復は望めない病状になった。
どんなに不安だったか…。
私もクタクタになっていたので、時にはツンツンした態度の日もあったように思う。
積極的治療をしない選択をしたので、転院することになったら父は更に不安そうにした。
だから、転院したら泊まってあげるよと言うと少しホッとしたようだったので、ほとんど毎晩泊まった。
昼間は寝ているようで、夜はベッドの柵をコンコン叩いて私を度々呼ぶので、「少しは寝させて」と言うと少ししたらまたコンコン叩く。
起き上がってベッドの近くに行き「何?」と聞くと
「寝れたか?」と。
さっき呼ばれて1時間しか経っていない、父は時間の感覚がなくなってきていたけど、それでも私を思いやってくれたのだと今ならわかる。
夜か昼間かどちらにいた方がいいと聞くと、夜に泊まって欲しいと言った父。
暗闇が迫ると不安が増したのかな。
最後の夜は辛い時間だった。父は悟っていた。
看護師さんは薬を前倒しにしたり、量を調整したりしてくれて、薬が効くと少しウトウトする。
それでもつらくて、
どうして欲しいか聞いてもわからないとしか答えない。
足や手をさすりながら、どう?と聞いてもわからないと言う。
朝になって主治医の先生が来たら、楽になるようお願いしてあげるからねと言うと、頷いた。
いつもは犬の散歩の為朝の5時半に病室を後にしていたけど、
帰ってはいけない気がして、娘に犬たちのことをお願いし、氷枕を冷たいのに変えてくれと言われたのが6時半。
ナースステーションで冷たいものと交換してもらい、頭の下に置いてあげると、少し気持ち良さそうに頷いた。
そして、苦しそうな息遣いが聞こえないから眠れたのかなと近くによったのが7時前。
もう息をしていなかった。
父 永眠。
これ以上苦しまないように母が迎えに来てくれたのかな。
by hanaume327
| 2018-08-09 17:04